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秋田の千秋公園は広い🏞️✨中編❗

   

皆さん。こんばんは😊🌃秋田はまた気温が下がりました❤️笑寒さに強いと思っていても寒いものは寒いです( ・`д・´)キリッ✨←なんだコイツ。笑八戸からの体調不良は何とか持ちこたえましたが、まだまだ気を抜くことなく毎日健康に過ごしていきたいですね✨(*^ω^)ノイヨッ皆さんも体調にはくれぐれもお気をつけて。。。
さてさて。本日は昨日話した通り❗千秋公園🏞️第2弾の続きになりまーす🎵😆昨日は時間が無くて素通りしてしまってた場所も紹介しますのでご安心くださいね❗ババーン🎆先ずは久保田城御隅櫓に行く門を潜る前にあった「御物頭御番所」になります。

久保田城内に唯一現存する藩政時代の役所建物。二ノ門(長坂門)の開閉と城下の警備、火災の消火などに当たっていた物頭(足軽の組頭)の詰所です🏃❗昭和63年3月に保存修理が実施され、従時の姿を現在に伝えています👍✨カッコイイ😆
お次に紹介するのは「与次郎稲荷神社⛩️」です❗(*゚▽゚)ノテレーン✨

与次郎狐🦊の悲しい伝説を語り継ぐ神社です。(エッ。。。悲しいの嫌だな。。。( ;´・ω・`)ショボーン)現在の千秋公園である神明山に久保田城を築いた佐竹義宣公の前に、ある日1匹の狐が現れました。「殿の築上により、住む場所をなくしたので、住拠を与えてほしい。願いが叶えられるのなら殿のお役に立ちましょう❗ドヤッ✨( ・`д・´)」と言う狐に対し、義宣公は茶園近くの場所を与えて「茶園守の与次郎」と呼ぶことにしました。。。。フーン。共存するためにギブアンドテイクってヤツか。。。別に今のところ悲しくないけど。。。( ・3・)続きは。。。ドレドレ。。。💨

与次郎狐は飛脚として秋田と江戸をわずか6日で往復して活躍しましたが、仕事を無くした飛脚たちによって罠にかかり、殺されてしまいました。。。😨

ギェー❗ヒドイ。。。妬みか。。。義宣公が与次郎の無念の死を哀れんでその霊をまつったのが与次郎荷神社です。。。と。
うーむ。。。飛脚たちも酷いけど、元の元凶は佐竹やん

イラァッ❗あの野郎ォォオッ(*`Д´)ノ!!!笑まぁ。与次郎の為に神社を造ってくれたのは偉いけど。。。何だか、「平成たぬき合戦ぽんぽこ」を思い出しましたね😭💦

ムネン。。。
しんみりしつつ。。。次に紹介するのは。。。その佐竹義宣公の子孫である佐竹義尭(文政8年(1825年)~明治17年(1884年))は、近代秋田を築いた最後の藩主であり、戊辰戦争では、新政府方に属して戦いました💣❗明治維新の激動期を生きた象徴的な人物です。

この銅像は、大正4年、義尭公の徳をしのぶ戊辰勤王記念銅像建設委員会によって本丸に建設されました✨しかし、太平洋戦争により、昭和19年(1944年)に解体撤去され、台座だけが残っていました。ポツン。。。😭

サミシーその後、昭和28年に佐竹家から銅像が寄贈されましたが、市民から「小さな銅像は寂しい。ぜひ復元を❗」との多くの声が寄せられ、平成元年、戦前のものと同じ大きさで復元されました❗おぉっ✨良かったね~😆👏パチパチパチパチ
さて。次に紹介するのは。。。与次郎稲荷神社の直ぐ左隣にある「八幡秋田神社⛩️」です👊❗

常陸にあった八幡神社を久保田に移したのが始まり。現在、初代義宣・9代義和・12代義尭を祀る。竿燈の御幣渡しの儀が行われている。との事です🍀ご祭神は応神天皇ほかで、勝負運、厄除け、商売繁盛のご利益があるそうです🥺

マジスカ❗案内板があり、平成17年に放火により焼失してしまいましたが、現在ある社殿は平成20年に再建されたものになります。いや~立派な神社ですね~(。-∀-)✨やはり日本人だからなのか、こういう場所を訪れると背筋が伸びる気がします❗シャンッ😆✨
と言うか。。。千秋公園広すぎて。。。まだ色々紹介したいとこあるんですけど。。。皆さん。。。本日も資料が多すぎて終わらせられなかったので、明日に続かせていただきます😂

ドッギャァーーーーン❗笑
果たして明日で最終回?になるのか⁉️😵

。。。乞うご期待❗笑
それでは本日はこの辺で失礼しまーす🎵😆らっしーでした( ゚∀゚)ノシ💕